小学校1年生の時の読書感想文。「ひとりぼっちじゃないよ」
くみょんです
変わらず実家にいますが、そこで見つけた小学校1年生の時の読書感想文
1学級1作品を応募できる区のコンクールで選ばれて
区の発行する文集に載りました
今回実家の片づけをする中で見つけて再度読んでみました
1年生の応募作品は125点(=区の小学校のクラスが125クラス)
文集に載っている作品は40点
小学校の1クラスが40人として1/40×40/125=0.8%
それなりに狭き門だったんだと思います
まだ6歳だったけど、先生に褒められたことや
学校で表彰されたこと、作文は何も考えずにすらすらと書けたことを覚えています
この体験が私のその後の人生(大げさ?)に影響を与えているのは確か
その後も何回か作文で表彰されたり、授業内で絶賛されたことがあった
これを武器にしたい気持ちはずっとある
いつか本を出して、多くの女性を勇気づけたいという気持ちは持っている
忘れないために、ここに掲載しておこうと思います
ひとりぼっちじゃないよ 鶴見正夫「ひとりぼっちのぞう」を読んで
はなこは、二人の人をころしちゃったね。でも、わたしも、はなこといっしょのことをしてしまったとおもうよ。
よっぱらいの人がきたら、へんな人で、じぶんのことをころすかもわからないとおもったでしょ。わたしだって、ころされるのがいやだから、さきにころしちゃったとおもう。よっぱらうとかおがあかくなるから、にんげんだとおもわなかったとおもいます。それに、よっぱらいの人は、くさいから、やだよね。
しいくがかりの人がえさをもってきて、そのままたおれてしまったときだって、えさをかくしていじわるしたみたいにみえたんでしょ。わたしは、にんげんだったら、おはなしをしてみたり、てでどかしたりする。でも、わたしがぞうだったら、はなとあしでどかして、えさをたべるかな。人げんにてつだってもらえたらいいけど、しゃべれないんだから、はなことおなじことをして、ころしちゃったかもしれないね。
はなこやどうぶつがしゃべれれば、おはなしができたのにね。なんとかして、おねがいできないかな。わたしは、たなばたのとき、おいのりしよう。
しいくがかりの人は、あんなびょうきならしいくがかりをやらなければいいのに。そうすればはなこは、ころさないですんだのに。でも、そうしてもしいくがかりをやりたかったのかもしれないね。
おきゃくさんから、いしをぶつけられたき、はなこはにげただけだったけど、わたしだったら、はなでおきゃくさんをころしちゃう。にんげんだって、いしをぶつけられたら、やだもん。ぞうもいっしょってことがわかった。おきゃくさんの人たちはちょっぴりいじわるみたい。
でも、山川さんは、ちがったね。山川さんは、おきゃくさんたちに「いしをぶつけるのやめてー。」っていってくれた。こころがよかったみたい。こころがよくなかった人は、おきゃくさんとおなじことをしたとおもう。山川さんは、どうぶつのいのちも、たいせつだってことがわかったみたいだね。わたしは、いいひとがだいすき。わるいひとはだいっきらい。ぞうもそうみたいだね。
はなこは、みーんなはがぬけてかわいそうでした。でも、山川さんがいろいろなものを、じゅーすにしてあげたんだね。おとこなのによくできるな。はがなくてもひとりぼっちでも、山川さんていうすてきなおともだちがいるから、さみしくないよね。山川さんはぞうのきもちがわかるんだね。
すごくいい人ほどどうぶつがすきになってくれるんだな。わたしもいい人になって、どうぶつがすきになってくれるしいくがかりになりたいなあ。そしたらしあわせなのになあ。わたしは、おかあさんのいうこともきいて、ぴかぴかの1ねんせいになれるようがんばろう。
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読みにくい文章ですが、ひらがな、段落含めて原文のままです
思うところはいくつかあります
・何回か「ころしちゃう」表現がでていて子供って残酷だな、とか
・「こころがよかった」「いい人はだいすき」など純粋な気持ちがいいな、とか
・「おとこなのに」にすでに男女差の文化に染まってるな、とか
私の原体験であることは間違いないから、これを忘れずに、伸ばす方法を考えて
何かに迷ったときには思い出したいと思います
こういうことをできるのもお正月の醍醐味
最近は帰省しても1泊や日帰りが多かった
自分を見つめなおすには必要な場所で、こういう時間が
ストレングスファインダーで「内省」気質が3位の私には大事なんだと感じます